BPDという問題 その5

BPD患者はどのような時に、どのくらいの頻度で自殺してしまうのか。
これは臨床家だけでなく、BPDに関わりを持つ全ての人にとって関心を持たずにはいられないテーマだろう。
自殺傾向はBPDの主な特徴の一つであり、多くの患者は実際に自殺企図を繰り返すのだから。
しかしこの疑問に厳密に答えることは、残念ながら以下の2つの理由で今のところとても難しい。
第一の理由はBPD患者がーBPD患者に限らないかも知れないのだがー男性と女性で自殺に際して異なった行動パターンを示す可能性があるためであり(Lesageほか, 1994)、もう一つの理由はBPD患者の大半は女性であるという、これまでの通説を覆すような疫学研究が、最近になって次々と発表されているためである(Coidほか, 2006 ; Lenzenwegerほか, 2007;Grantほか、2008)。
自殺に際して男女で異なる行動パターンを示すとは、以下のようなことである。
一般人口を対象とした疫学研究によれば、実際に自殺してしまう人物(一般人口の0.2%)と、自殺企図をおこなう人物(一般人口の5%)は、かなり異なったプロフィールを示すことが明らかになっている(Beautrais,2001, Welch,2001)。
実際に自殺してしまう人たちは以下のようなプロフィールを持つ場合が多い。
年齢がより高く、男性で、自ら治療を求めることは比較的少ない。
自殺を図るにあたって、より致命的な方法を用いる傾向があり、そしてただ一度の試みで実際に死んでしまう。
他方で自殺企図をおこなう人たちは以下のようなプロフィールを持つ傾向がある。
年齢がより低く、女性で、自ら治療を求めることが比較的多い。
自殺を図るにあたって、致命的な方法を用いることは少なく、したがって助かることが多い(Marisほか, 2000)。
自ら治療を求める傾向が高い女性という、自殺企図をおこなう人たちに共通するプロフィールは、BPD患者に対するこれまでの通説に良く当てはまる。
しかしBPDの男性は、それとは異なる自殺傾向のパターンを示す可能性があることに注意すべきである。
自殺者の遺族などから、亡くなる前の本人の状態や周囲の状況を詳細に聞き取り、自殺が起こった原因や動機を明らかにしていく心理学的剖検(psychological autopsy)研究によれば、18歳から35歳という比較的若い年齢で自殺した者のうち、約1/3がBPDと診断される可能性を持つ人々であった。
注目に値するのは、それらの人々の大半が男性であり、しかも自殺した時点で治療を受けていた者はごくわずかであったことである(Lesageほか, 1994)。
これはBPDに罹患している若年の男性が、同じ障害に罹患している女性とは異なり、医療的な援助を求めることのないまま、実際に自殺するに至っている可能性があることを示す。
そしてBPDの男性は、これまでの通説とは異なり、決して少なくはないようなのである。
外来を訪れるBPD患者の約8割は女性であるという報告まである(Zimmermenほか2005)くらいだから、これまでBPDはもっぱら女性が罹る病気であるとみなされてきたのも無理はない。
しかし実際の地域社会ではそうではない可能性がある。
研究用診断面接が開発されるのに伴い、大きな地域社会の一般市民を対象として、パーソナリティー障害全ての有病率を測定するという研究プロジェクトが、最近になって次々とおこなわれるようになった(Jacksonほか、2000;Torgersenほか、2001;Grantほか、2004;Coidほか, 2006 ; Lenzenwegerほか, 2007;Grantほか、2008)。
それらの地域社会の市民を対象としてなされた研究の大半は、臨床サンプルを対象としてなされた研究とは異なり、BPDの有病率には男女間で統計的に有意な差がないことを示している。
ひょっとするとこの結果は、専門家よりも家族にとって重要なものかも知れない。
家族はこの情報を得ることで、BPDに罹患している恐れがある男性患者に受診するよう促すことが出来る可能性があるが、専門家はとりあえず女性ばかりが訪れる外来で治療をおこなうほかはないのだから。
臨床の現場と地域社会の有病率との間に、このような食い違いが生じてしまう理由として、以下のような可能性が考えられている。
女性のほうが他人に助けを求める傾向が強いこと、サンプリングや評価をおこなう上でのバイアス、そしてBPDに罹患した男性に比べて、女性のほうが身体的障害(高血圧、糖尿病、心筋梗塞、肝障害、性病など)や、他の精神障害を合併する場合が多いために、受診につながりやすいと思われることである(Grantほか、2008)。
さて以上を長い前置きとして、という本来の問いに戻ることにする。
ただしこれまでにおこなわれた長期予後研究は、当然ながら基本的には受診した患者を対象としたものであり、したがって女性患者が大半を占めていることをくれぐれも忘れないでいただきたい。
この問いに答えることは、ある意味では難しくない。
長期予後研究のほとんどが、BPD患者の約10%が自殺するに至ることを示しているからである(この自殺率は統合失調症において、あるいは大うつ病において報告されている自殺率に匹敵する)。
たとえば遡及研究(過去においてBPDと診断されていた患者の経過を、現在からさかのぼって調査した研究)から得られた結果の中で代表的なものを挙げるなら、平均15年を遡及して調査したモントリオール総合病院における研究の約9%(Parisほか, 1987)、平均15年を遡及して調査したニューヨーク精神医学研究所における研究の約9%(Stone,1990)、そして平均27年を遡及して調査したモントリオール総合病院における研究の約10%(ParisとZweig-Frank, 2001)がある。
ちなみに遡及研究ではチェスナットロッジ病院の研究(McGlashan, 1986)が、前向き研究ではMSAD(マクリーン病院成人発達研究:Zanariniほか, 2005b)が、3〜4%というかなり低い自殺率を示しているが、前者は対象患者が社会階層の高い家庭の子弟に偏っているという理由で、後者は経過をフォローしていた期間を通して、ほとんどの患者に対して集中度の高い治療がなされていたという理由で、いずれも典型的なサンプルの自然経過を追うことにより得られた結果であるとみなすことは難しい。
しかしこうした長期予後研究から得られた、最も興味深い知見の一つは、やはりBPD患者が実際に自殺してしまう年齢に関するものだろう。
BPD患者が自殺を考えたり試みたりすることが最も多いのは、この障害の経過の初期にあたる20代であることはとても良く知られている。
しかし彼らが実際に自殺してしまうのは、もっとずっと後のことであるのはあまりよく知られていない。
ニューヨーク精神医学研究所における研究(Stone,1990)によれば、さかのぼって調査した15年間における自殺患者の平均年齢は30歳ーParisたちのグループがそうだったように、調査対象の期間をさらに長く取れば、この平均年齢はさらに上昇した可能性があるーであり、モントリオール総合病院における研究(ParisとZweig-Frank, 2001)によれば、さかのぼって調査した27年間における自殺患者の平均年齢は37歳であった。
いささか逆説めいた言い方に聞こえるかも知れないが、これらの研究からわかることは、医療関係者や家族を含む周囲の人間が最も自殺を警戒する時期に、BPD患者が自殺してしまうのは比較的まれだということである。
さらに本当に自殺してしまう危険があるのは、有効な治療がなされることなく年齢を重ねてしまった患者だということもわかる。
これはBPDに対して適切な治療をおこなうことができる治療者が、今でも極めて少ないことを考えれば深刻な問題であるというほかはない。
さらにこれと関連した、気になるデータが存在する。
BPD患者は約10%という自殺率を示すのに加えて、健常者よりも著しく高い早期死亡率を示すことが明らかになっていることである(ParisとZweig-Frankの研究では約8%、Stoneの研究では約13%)。
これは長期的にみると18%(ParisとZweig-Frank, 2001)から21%(Stone,1990)ものBPD患者が、自殺あるいは「自然経過」によって、年齢に不相応なほど早く亡くなるということを意味する。
適切な治療的介入や指導を受けない限り、生活習慣と関連したさまざまな疾患を予防し、性感染症や事故などのリスクを避けられるような、健康的な生活をBPD患者が維持することはとても難しい。
治療者は自殺の危険ばかりに目を向けるのではなく、このような日常生活に潜む危険に十分に留意し、出来る限りそれを回避するための介入をおこなう必要がある(そして後に述べるように、このような介入をおこなう際に、家族の協力は欠かすことが出来ない)。
いずれにしても長期的にみた場合、BPD患者を外来で「なんとなく」マネジメントしていくという方針が、これまでに考えられてきたよりも危険なものである可能性があることを、これらの研究は示している。