BPDの危険因子  遺伝的要因

BPDの場合に限らず、「精神疾患と遺伝」というテーマは極めてデリケートなものである。
一般論としてなら、パーソナリティーに対して遺伝的要因が影響を与えていることに反対する者など誰もいないだろう。
だがこれが「パーソナリティー障碍の病因論」という文脈の中で論じられる場合、事情は異なってくる。
たとえばこれまでBPDの病因に関して作り上げられてきたさまざまな理論は、もっぱら環境因に焦点を合わせたものばかりだった。
しかし近年おこなわれた研究は、遺伝的要因が与える影響を軽視するようなBPDの病因論が、現在ではもはや妥当なものとは言えないことを明らかにしている(Torgersenほか、2000;Distel ほか、2008,2009)。
心理学的特性や精神障碍に対して遺伝的要因や環境要因が、それぞれどの程度の影響を与えているかを明らかにするために、こうした研究では行動遺伝学(behavioral genetics)的な方法が用いられた。
これは一卵性双生児と二卵性双生児が、さまざまな特性に関してどのような違いを示すかを比較するという、双生児法を用いて心理現象の背後にある遺伝と環境の影響を明らかにしてゆくものである。
もしある特性に関して、二卵性双生児同士よりも一卵性双生児同士のほうが似ているなら、その特性は遺伝的な要因に由来するものであるとみなすことが出来るというわけだ。
さらにそうした特性が示すばらつきの度合い[分散]のうち、何パーセントが遺伝的類似性によって説明できるかを明らかにすることにより、その遺伝性の大きさを計算することも出来る。
こうした行動遺伝学的な方法に基づいてなされた研究は、精神医学や心理学の領域に対しても大きな影響を与えつつある。
たとえばパーソナリティーに対して遺伝が与える影響のレベルは、多くの場合に40%から50%の間であることが明らかになっている(Plominほか、2000)。
これは決して正常なパーソナリティーに関してのみ当てはまることではない。
DSM-Ⅳに記載されているほぼ全ての精神障碍に関して、約50%が遺伝的要因に由来することが明らかにされているのである(KendlerとPrescott,2006)。
当然ながらこれは、残りの約50%が環境要因に由来している可能性を持つということでもある。
だがここでいう「環境要因」という言葉の意味するところは、これまで心理療法の領域で言われてきたような、いわゆる「環境が与える影響」とは全く異なっていることに注意しなければならない。
心理療法で「環境が与える影響」について論じる場合、それは患者の生育環境すなわち「家族に共有される環境(家族構成員に共有され、家族を互いに似通ったものにさせる働きを持つような環境)」を意味する場合が大半であった。
ところがパーソナリティー特性に影響を与える環境要因とは、ほぼ完全に「家族に共有されない環境(個人の経験や学習などに基づく,各人によって異なる独自の環境)」なのである(Plominほか、2000)。
これは同じ家庭で養育されたからといって、子供たちが似たようなパーソナリティー特性を持つようになるわけではないということを意味している。
いやそれどころか、兄弟同士のパーソナリティーが互いに似通っている度合いは、赤の他人と同じ程度に過ぎないかも知れないのである。
このように行動遺伝学的な方法に基づく研究は、子育てがパーソナリティーの発達や精神障碍の発症に関して中心的な役割を果たしているという、心理療法の大前提となるような仮説に対して重大な疑念を投げかけている。
たとえば最近なされた大規模な遺伝研究では、自己評価式の測定法を用いてBPDの示すさまざまな特徴を調査し、多数の双子サンプルにおけるBPDの遺伝率が測定された(Distelほか、2008、2009)。
調査の対象となったのは、オランダ、ベルギー、そしてオーストラリアから集められた5017名の双子、1266名からなる彼らの兄弟、そして3064名からなる彼らの両親である。
この研究によれば、BPDの特徴が示すばらつきの度合い[分散]は、以下の3つの要因によって説明することが出来た。
第1の要因は相加的遺伝子効果(additive genetic effect:それぞれの親から確実に子供へ伝えられる遺伝子の効果)であり、これにより説明される割合は21.3%とされた。
第2の要因は優性遺伝効果(dominant genetic effect:親から子供へと偏って[不確実な形で]伝達される遺伝子の効果であり、父親と母親の組み合わせの結果として一代限り生じるもの)であり、これにより説明される割合は23.9%である。
そして第3の要因は「家族に共有されない環境要因」であり、これによって説明される割合は54.9%であった。
また近年パーソナリティー特性やパーソナリティー障碍に関してなされた他の研究と同じように、「家族に共有される環境要因」がBPDの病理形成に対して何らかの影響を与えているという証拠は、この研究でも全く見出されなかった(Distelほか、2009)。
たとえばこの研究ではBPDの特徴が家族に似たような形で認められた場合、どの程度が親から子供への文化伝達(cultural transmission)に由来するものであるかについて検証がおこなわれている。
これは模倣、習慣あるいは嗜好という形で子供が親から「教えられ」たり、社会的学習あるいはモデリングを通して、子供の行動表現型に対して親が直接的な影響を与えたりすることが、子供の病理形成に与える影響の度合いについて調べたものである。
少々驚いたことに、BPDの特徴に関して家族が示す類似性に対して、親から子供への文化伝達が影響を与えているという形跡は全く認められなかった。
すなわち生物学的親族が、BPDの特徴に関して互いに示した類似性はー「家族に共有される環境要因」ではなくーほぼ完全に遺伝的な影響に由来している可能性があることが明らかになったのである。
以上をまとめてみよう。
BPDの特徴は大まかにいえば2つの要因によって伝達される。
1つは遺伝的要因であり、もう一つは「家族に共有されない環境要因」である。
この2つの要因のうち、BPDの病理形成に対して最も大きな影響を与えるのは「家族に共有されない環境要因」である。
ただし環境要因について考える場合でも、遺伝の与える影響について考慮に入れなくて良いわけではない。
ある人物が環境に対してどれくらい脆弱であるかを規定するのは遺伝的要因だからである。
たとえば「脆弱な」遺伝子型を持った人物は、そうでない人物に比べて、望ましくない環境に直面した場合、BPDを発症するリスクが高まるだろう。
こうした「遺伝―環境の相互作用」が与える影響は、「家族に共有されない環境要因」の中に含まれている可能性が高いのである(Distelほか、2009)。
他方で重要なのは、遺伝的要因が発症に対して大きな影響を与えているにもかかわらず、適切な治療的介入さえなされるなら、BPDは治療に対して極めて反応を示しやすい障碍であるという事実である(Gunderson,2009)。
通常の場合「遺伝」という言葉でわれわれが連想するのは、「変化しにくい」「治療に対する反応に限界がある」といったイメージだろう。
しかしBPDはー意外なことにーそのような障碍ではないのである。