BPDという問題 その4

おそらく先に述べたような事情も手伝ってのことであろうが、BPDの転帰を調査する目的でおこなわれた前向き研究(Linksほか, 1998 ; Skodolほか, 2005 ; Zanariniほか, 2005b)では、遡及研究と比べても有望な結果が得られたものが多い。
ただしマクマスター大学でおこなわれた最初の前向き研究は、対象患者88名のうち約1/3がドロップアウトしていることにも一因はあるのかも知れないが、従来の研究から得られた結果と比べて面目を一新するというには至らなかった(Linksほか, 1998)。
研究開始から7年が経過した時点で、約53%の患者がBPDの診断基準を満たさなくなっていたが、これは後におこなわれた、より規模の大きい2つの前向き研究はもとより、遡及研究で得られた値に比べてもやや控えめな数値である。
ひょっとするとこのような結果が得られた理由は、7年というフォローアップ期間が、遡及研究の15年から27年という期間に比べてかなり短いことに由来するものかも知れず、さらに長期にわたってフォローすれば遡及研究と同程度の寛解率になった可能性はある。
ちなみにこの研究によれば、何らかの形で就労していた患者の割合は58%、既婚者の割合は37%であり、調査開始時点におけるBPDの病理が軽いほど、そして合併している他のパーソナリティー障害の数が少ないほど患者の転帰は良かった。
文字通り面目を一新すると言うにふさわしい結果が得られたのは、国立精神衛生研究所(NIMH)の資金援助のもとになされた、より大規模な2つの前向き研究においてである。
マクリーン病院成人発達研究(McLean Study of Adult Development:MSAD)では、290名のBPD患者を対象として1993年から2年ごとに面接をおこない、10年以上にわたってその経過を追跡した(Zanariniほか, 2005b)。
ちなみに10年間で約8%というドロップアウト率は、この障害の性質を考えれば驚くーさらに言うならその意味を慎重に検討するーに値する低さである(実際には亡くなった患者がそれに加わるから、10年後にフォローアップ面接を受けた患者の割合は約86%であった)。
注目に値するのは、2年後におこなわれた第1回目のフォローアップ面接の時までに、すでに34.5%の患者がこの障害の診断基準を満たさなくなっていたことである。
これらの患者はその後も一貫したペースで寛解し続け、調査開始後10年目までに寛解率は88%に及んでいた。
またこれらの患者はいったん寛解すると、再発することはまれ(約6%)であり、再発率の高い大うつ病双極性障害とは対照的な経過を辿ることが明らかにされた。
さらに6年目のフォローアップ面接時に、寛解していたBPD患者(全体の68.6%)が示したGAF(機能の全体的評定)尺度の平均値は、61あるいはそれ以上と、軽度の障害という範囲に収まっていた。
また寛解した患者のうち66%(全体の45.3%)が良好な心理社会的機能を示していた(Zanariniほか、2005a)。
転帰の良さと関連していたのは以下の7つの要因であった:年齢が若いこと、小児期に性的虐待を受けていないこと、物質乱用歴のある家族がいないこと、良い職歴を持つこと、C群パーソナリティー障害(回避性パーソナリティー障害、依存性パーソナリティー障害、強迫性パーソナリティー障害)が存在しないこと、神経症傾向(ストレス要因に対して精神的混乱を引き起こしやすい傾向)が低いこと、そして協調性が高いことである(Zanariniほか, 2006)。
パーソナリティー障害経過共同研究(Collaborative Longitudinal Personality Disorders Study:CLPS)はハーバード大学コロンビア大学、イェール大学、テキサスA&M大学、そしてブラウン大学が共同でおこなった前向き研究である(Skodolほか、2005)。
他の多くの転帰研究とは異なり、この研究に参加した668名は必ずしも入院患者ではなく、調査開始時点において治療を求めているか、あるいはその少し前から治療を受けはじめた人々であった。
主診断がBPDであったのは175名であったが、そのうち2年後にフォローアップ面接を受けたのは154名(88%)であり、MSAD(マクリーン病院成人発達研究)には及ばないものの、充分に低いドロップアウト率であるといえる。
そして寛解率はMSADに比べてすらいっそう高く、2年後のフォローアップ面接ですでに44%の患者がこの障害の診断基準を満たさなくなっていた。
他方でこれらの患者が示すGAF(機能の全体的評定)尺度の平均値は、残念ながら2年間でほとんど改善が見られなかった。
これはBPD患者が自殺企図や自傷行為などの症状を示さなくなったとしても、対人関係上の問題に代表されるような社会的機能の障害は持続することを意味している。
MSAD(マクリーン病院成人発達研究)で示された社会的機能の改善は、この研究で得られた結果に比べて良好なものであるのは事実だが、BPDの寛解過程は、BPDをいわば「卒業」してPDNOS(Personality Disorder Not Otherwise Specified:特定不能のパーソナリティー障害)へと移行していく過程として捉えられる可能性があることにはいちおう留意しておく必要がある(Paris,2008)。
調査開始時点においてBPDの病理が軽く、小児期に虐待や養育放棄を受けたことがなく、対人関係の不安定性の程度が軽く、家族との関係が良好であるほど2年後の転帰は良かった(Gundersonほか, 2006)。
以上のような結果に基づいて、MSAD(マクリーン病院成人発達研究)とCLPS(パーソナリティー障害経過共同研究)はともに、BPDとはさまざまな症状とパーソナリティー特性とが入り混じり合ったものであると結論づけている。
すなわち自傷行為や自殺企図といった衝動性に基づく症状、あるいは一過性の精神病的な症状は早期に消褪するが、問題のあるパーソナリティー特性と関連した、慢性的な怒り、空虚感、猜疑心の強さ、孤独に耐えることの難しさ、いわゆる「見捨てられ」に対する不安とされるものなどは、比較的変化しにくい傾向があるということである。
これは図らずもパーソナリティー障害とは、内的体験および行動の「持続的様式(enduring pattern)」であるという、DSMの定義の妥当性についても疑問を投げかける結果となった。
これらの結果がBPDという診断に対してどのような意味合いを持つかはさておくとしても、臨床的な意味合いがきわめて大きいことに異論の余地はないだろう。
遡及研究および前向き研究から得られた結果はいずれも、BPD患者の大半は時とともに改善することを示しているのであり、それは「パーソナリティー障害」という用語に伴いがちなネガティヴな印象を払拭するに足るものである。
本当はここからBPDの回復のメカニズムと、そのために必要とされる治療のあり方について、大まかなアウトラインを述べることへと稿を進めるところなのだが、その前に少々気の重い話題について触れないわけにはいかない。
それは「BPDと自殺」という問題である。