BPDという問題 その3

BPDについて論じる中で、その治療の難しさに触れない者はない。
たとえば一応「境界例の治療」について論じたはずの書物の中で、四半世紀以上にわたるその著者の、数百人におよぶBPD治療歴の中で、満足すべきかたちで終結を迎えた患者数は10人にも満たないなどと、さらりと書いてあったりする。
欧米でも事情は似たようなもので、たとえば790名のBPD患者を対象とした、一世代前の代表的な転帰研究(WaldingerとGunderson, 1984)によれば、熟練した精神分析療法家が精神療法をおこなった場合ですら、6ヶ月以上治療を継続した患者は54%であり、成功裏に治療を終結できたと判断された患者はわずか10%に過ぎなかった。
そしてこの場合の「治療の成功」とは、最小限の自己破壊性しか示さぬようになり、ほどほどに社会的機能を果たすことが出来るようになることであった。
たしかにBPDに対して「定型的な治療(医師による投薬、カウンセラーあるいは医師による個人面接、必要に応じた入院治療などの組み合わせ)」をおこなった場合、そうした介入に対する反応はおおむね極めて乏しい。
BPDという診断が、「これからあなたは苦難の日々を送るであろう」という宣告であるかのように見なされる時代が長く続いたのも、それなりに理由のあることだったのである。
しかしこうした見方は悲観的に過ぎたのかもしれない。
最近おこなわれたさまざまな研究は、いずれもBPDの長期予後が、これまで考えられていたほどーそしてなにより「パーソナリティー障害」という言葉から連想されるほどー悪くはない可能性があることを示している。
これらの研究の特徴は、BPDがどのような経過を辿るかについての調査が、せいぜい5年程度だった従来の研究よりも、はるかに長期間にわたってなされたことである。
調査方法の違いに基づいて、これらの研究は2つのタイプに大別される。
一つは過去においてBPDと診断されていた患者の経過を、入院した時点より平均して15年から27年後に、さかのぼって調査した転帰研究(遡及研究:follow-back study)であり、そしてもう一つは研究開始時点においてBPDと診断された患者を、2年から10年にわたりフォローするような形でおこなわれた転帰研究(前向き研究:prospective study)である。
ただしこれらの研究結果を読み取るに当たっては、以下に挙げるようなさまざまな方法論上のプラスマイナスについて十分に認識しておく必要がある。
遡及研究は診断をおこなう際の手続きが構造化されていないこと、どのような経過を辿って調査時の状態に至ったかについて充分な情報を得るのが難しいこと、また全ての患者の所在を突き止めるのは不可能であることー突き止めることが出来た患者の割合は、最大で91%(Stone,1990)であり、最小で25%(ParisとZweig-Frank,2001)であったーなどの問題を抱える一方で、対象とする患者の選択に偏りが生じにくいという利点がある。
他方で前向き研究は、対象とする患者の大半を追跡できるなら、ほぼ理想的な調査方法であるといってよいはずである。
しかしBPDの特徴を考慮に入れた場合、この方法を手放しで理想化するわけにはいかないだろう。
前向き研究をおこなう、すなわち長期にわたり経過をフォローされることに同意し、研究者と契約を結んだ上でそれを遵守することができるような患者は、そもそもBPDとしてあまり典型的とはいえない可能性があるからである。
さらに言うならそれらの前向き研究では、ドロップアウト率を低くするために、大半の患者は何らかの形での治療を継続的に提供されていた(Zanariniほか、2004)から、そこで得られた結果をBPDの自然経過と見なすことには無理がある(それとは対照的に、たとえばParisらの遡及研究で調査された患者の大半は、定期的な治療など受けてはいなかった)。
したがって長期予後について判断を下す場合、遡及研究と前向き研究の双方から得られた結果を十分に照らし合わせる必要がある。
さて以上を前提とした上で、まず遡及研究の結果からみていこう(McGlashan, 1986 ; Plakunほか, 1985 ; Stone, 1990 ; Parisほか, 1987 ; ParisとZweig-Frank, 2001)。
入院時より平均15年から27年が経過し、平均年齢が37歳から51歳に達した患者たちが示したGAF(機能の全体的評定)尺度の平均値は63から67であり、いずれも軽度の障害という範囲に収まっていた。
頻繁に転職を繰り返す傾向こそみられたものの、多くの患者はパートタイムなど何らかの形で就労しており、中には専門職に就きキャリアを重ねている者もいた(たとえばParis,2003)。
また15年が経過した時点でBPDの診断基準を満たしたのは、対象患者のうちわずか25%(Parisほか, 1987)に過ぎず、27年が経過した時点でその値はさらに8%(ParisとZweig-Frank, 2001)まで減少した。
こうした加齢に伴う「燃え尽き」傾向は、決してBPDだけにみられるものではなく、反社会性パーソナリティー障害や物質乱用などの、行動化が主体となる障害一般にみられるものではあるのだが、大いに心強い結果であることは間違いない。
では方法論的により厳密とされる、前向き研究ではどのような結果が得られているのだろうか?

(この項続く)