BPDという問題 その2

いまアメリカ精神医学会は、「境界性」パーソナリティー障害("borderline" personality disorder:BPD)という名前を変更できないかどうか、そしてさらにパーソナリティー障害自体をDSMの1軸へと移すことが出来ないかどうかを、真剣に検討しているところである。
これはBPDやパーソナリティー障害という用語につきまとう、軽蔑的な語感をなんとか払拭しようとする試みという側面があることは間違いない。
もちろん保険会社から治療費の支払いをしてもらうのに苦労しなくて済むー残念ながらアメリカでは、どのような医療をおこなうかを最終的に決定するのは医師ではないーような病名をつけたいという、臨床家の側の切実な要望にこたえたものという側面があるのもまた事実なのだが。
金銭にまつわる話はさておくとして、これらの提案には首肯できるところも少なくない。
たとえば境界性(borderline)ということばが何を意味しているのか、もはや誰にもわからないという現状がある。
50年前ならともかく、この障害が精神病との境界に位置づけられると真面目に考える者は、今では誰もいないだろう(ある種のメタファーとしてなら、ひょっとすると有効な場合もあるのかもしれないが)。
BPDとは情動の不安定さ、衝動性、不安定な対人関係、さらに認知症状(ストレスと関連した一過性の妄想的な考え、解離症状、あるいは幻覚)という4つの領域にまたがる障害だが、BPDという名称からそのうちの一つでも連想することはむずかしい。
BPDはDSMの2軸に属するパーソナリティー障害の中でも、臨床家の推測に基づくことなく、行動徴候や症状に基づいて定義されている、最も輪郭のはっきりした臨床類型の一つである。
それにもかかわらず、この障害が<わけがわからないもの>というイメージを、専門家からさえ抱かれがちなのは、このネーミングに由来するところも大きいだろうと思う。
この問題の厄介なところは、だからといってほかに適当な名称が今のところ見あたらないというところにある。
いままでに数多くの代替案が提唱されてきたが、世界保健機構(WHO)の国際疾病分類(International Classification of Diseases:ICD-10)における「情緒不安定性パーソナリティー障害」というネーミングも含めて、この複雑な障害の一面しか捉えていないというきらいがあることは否めない。
私はBPDという名称をこれから変えていくという提案に、むしろ賛成である。
しかしこの障害に対して、時期尚早なかたちで一面的なネーミングがなされるのを受け入れるくらいなら、境界性(borderline)という「名詞たらんとする形容詞(Akiskalら、1985)」が孕むあいまいさにさしあたり耐えていくのも、それほど悪くはない選択であるように思われる。
他方でパーソナリティー障害という概念をなくして、2軸障害の全てを1軸に移行させようという提案は、単なるネーミングの問題にとどまらない、DSM全体にとってラディカルな変革にあたる。
これはパーソナリティー障害を、早期に発症して慢性的な経過をたどるようなタイプの、1軸障害の変異型として定義し直そうという提案である(Firstほか, 2002)。
すでにこのアイディアは、WHOがさだめる国際疾病分類ICD-10(ICD;WHO,1992)において、部分的には実行に移されている。
すなわちDSM-4-TRでは2軸(パーソナリティー障害)に属するとされる失調型パーソナリティー障害(schizotypal personality disorder)が、ICD-10ではパーソナリティー障害としてではなく、統合失調症圏に属する統合失調型障害(schizotypal disorder)として、試行的に(一般的に用いることは勧められないというただし書きをつけられた上で)分類されているのだ。
DSMでもこのような動きにならって、回避性パーソナリティー障害は社会不安障害の中へ(Liebowitzほか, 1998)、BPDはたとえば「他のどこにも分類されない衝動制御の障害」の中へ、シゾイドパーソナリティー障害は陰性症状主体の亜型として統合失調症の中へ、妄想性パーソナリティー障害は妄想性障害の中へ、強迫性パーソナリティー障害は強迫性障害の中へ、反社会性パーソナリティー障害は「素行障害の大人版」という分類を作ってその中へ、それぞれ分類し直せばよいとされる。
演技性パーソナリティー障害、自己愛性パーソナリティー障害、依存性パーソナリティー障害の3類型については、1軸障害でこれらに相当する適当な類型が存在しない。
そんなこともあって研究者の中には、これらの類型を抹消しても構わないのではないかと考える者もいる。
これらの診断類型はもともと精神分析の影響下で作られた(Millonほか, 1996)ものであり、またこれらの類型を対象とした研究の数も決して充分とはいえないから、消えてなくなったところで精神分析的立場に立つ臨床家をのぞけば大して困る者もいるまい、というわけである(たとえばParis, 2008)。
さすがにここまでくると私でもついていけないものを感じるし、とりわけ一般人口の0.1%が罹患(Samuelsほか, 1994)しているとされ、BPD患者の17%が併存していることが明らかになっている(Clarkinほか, 2004)自己愛性パーソナリティー障害を抹消してよいというのは、やはり極論であるとしか思えないのだが、これらの提案の中には、真剣に検討するに値する内容が含まれているのもまた事実なのである。
A群パーソナリティー障害(妄想性、シゾイド、そして失調型パーソナリティー障害)、とりわけ失調型パーソナリティー障害と統合失調症との関連性については、以前から指摘されてきたところだし、これから論じていくBPDについても、1軸に移したほうが理にかなっていると思われる点は多々存在しているのであるーただし現行の1軸障害の1つの類型の中にBPDを当てはめるのではなく、新たな診断類型を作ることが望ましいだろうが。
それでもパーソナリティー障害という概念を捨て去ることにより、それが解決するよりも多くの問題を作り出してしまうのではないかというおそれを抱く者は決して少なくはないのだ(たとえばWidiger,2007)。
不適応的なパーソナリティー特性をもつひとびとを充分に説明するのは、いくつかのパーソナリティー障害を重複して診断することによってすら難しいと、現在でさえ見なされている(Livesley, 2003; TrullとDurrett, 2005)というのに、気分障害、不安障害、衝動制御の障害、妄想性障害などの1軸障害を仮にいくら組み合わせたところで、それが可能になるとは思えない。
他方でパーソナリティー障害が、治療の対象とされるべき障害として、あるいは他の精神疾患のマネジメントを厄介なものとする要因として、重要な意義を持つことには、充分な裏付けがこれまでに得られているのである(Firstほか, 2002)。
このような事情もあって、上記のような変革がDSMの次の改訂(DSM-5)で実行に移されるかどうかは、いまのところよくわからない。
しかしBPDという診断名が、今なお流動的な状況にある「境界性」「パーソナリティー障害」という2つの用語から構成されているのは、この障害をめぐる問題について考えていく上で象徴的なことであるように思われる。
ただしBPDという診断名によって名指される障害が、今後ともDSMの中に残しておくに値する、重要な類型であることに疑いの余地はない。
それは必ずしもこの障害が、DSMの2軸に含まれる10類型からなるパーソナリティー障害の中でも、最も多くの実証的データが得られている3つの診断類型(反社会性パーソナリティー障害、BPD、失調型パーソナリティー障害)のうちの一つ(Paris, 2008)であるためばかりではない。
むしろこの診断が、精神療法をおこなう際に非定型的なアプローチをする必要があるー通常の精神療法的アプローチが効果を示すことがあまり期待できないー患者群を意味していることのほうがはるかに意義は大きい。
それこそがBPDという類型を存続させるべき最大の理由である。

(この項続く)