BPDという問題 その1

境界例なんて診断をつけちゃダメだよ、黒田くん。あんなものはいずれ別の診断で置き換えられることになるんだから」
かなり以前に、ふたまわりは年長かと思われる先輩医師から、私はこのような忠告をされたことがある(その当時この障害は、よく「境界例」と呼ばれていた)。
うつ病を専門としていた先輩がわざわざしてくれたその「忠告」を、当時の私は黙って聞いているほかはなかったのだが、それでも心の底に「境界性パーソナリティー障害(以下ではBPDと省略)という診断を抹消したからといって、自殺未遂や自傷行為を繰り返す<うつ病>の患者が治せるようになるわけでも、消えてなくなってくれるわけでもあるまいに」という不遜な考えが湧いてくるのを抑えることはむずかしかった。
思い返してみるなら、このー密かなーやりとりは、現在に至るまで決して解消されたとはいいがたい、BPDにまつわるさまざまな問題を典型的な形で示している。
その当時(約20年前)はもとより、今でもBPDという診断を精神科医はあまりつけたがらない(アメリカ精神医学会が刊行した、「精神疾患の分類と診断の手引き[DSM-3(本来はローマ数字だが、表示できないようなので以下ではアラビア数字で表記する)]」に、BPDという項目が記載されてからもうすぐ30年にもなるのだが)。
そのことを患者さんやその家族は充分に承知しておく必要がある。
たとえば約10年前にアメリカのロードアイランド病院でおこなわれた研究によれば、そこの外来で診療をしている医師たちがBPDという診断をつけるのは、患者のわずか0.4%に対してのみであった。
しかし似たような患者を対象として構造面接をおこなうと、BPDという診断が下される頻度は14.4%に跳ね上がった(ZimmermanとMattia, 1999)。
これはBPDという診断をつけるかどうかが、治療に対して重大な影響を与えるものであることを考えれば、決してなおざりに出来るような問題ではない。
たとえばBPDに限らず、なんらかのパーソナリティー障害が存在する場合、抑うつ症状に対する抗うつ薬の反応が乏しくなることは良く知られている(Newton-Howesら,2006)。
しかしながらBPDと併存していることの多い、代表的な疾患が気分障害(うつ病双極性障害など)、不安障害、そして物質乱用である(Zanariniほか, 1998)ことを考慮するなら、適切に診断がつけられていない場合、こうした患者たちは限られた効果しか持つことのない、薬物を用いた治療を受けることになる可能性が最も高い。
大量服薬、家庭内暴力、自殺未遂やパニック発作など、さまざまな理由で昼夜を問わず外来を訪れては抗不安薬向精神薬、さらには抗うつ薬などを処方され、症状が改善されることなく青年期の貴重なー場合によってはその人の社会的予後を左右する可能性すらあるー数年間を費やしてしまった<パニック障害>や<うつ病>の患者さんを、私は何人も知っている。
もちろんパニック障害うつ病と診断すること自体が問題なわけではない。
現行のDSM(精神疾患の分類と診断の手引き)は、1軸から5軸までの多軸診断システムとなっている。
原則的に言えば1軸は症状のあり方について、そして2軸は主としてパーソナリティ特性と関連した障害について評価するものである(3軸は一般身体疾患、4軸は心理社会的、環境的問題、5軸は全般的機能の評価のための軸だが、実際の臨床においてこれらの評価がなされることはまれなので、ここでは取り上げない)。
そしてパニック障害うつ病はもとより、統合失調症のような最も典型的な精神障害ですら、その病態が1軸と2軸の両方から影響を受けている場合がほとんどである。
問題はDSMにおいて1軸と2軸をわざわざ区別したのは、臨床家が診断を下す際にパーソナリティー障害について考慮するよう促すことを意図したものであったにもかかわらず、それが完全に裏目に出てしまっていることである。
実態はまさに逆と言って良いくらいであり、2軸障害はほぼ完全に無視される(Zimmerman & Mattia 1999)か、あるいは真剣に受け止められない傾向がある。
これはおそらく多くの臨床家が、1軸に分類される障害の方が治療できる可能性が高く、パーソナリティー障害という診断は患者をおとしめるものであると考えるー誰がすき好んで自分には治せない、あるいは治りにくいと考える障害の診断などつけたがるだろう?ーためだろう(Livesley 2003)。
そこにあるのが臨床家たちの善意であることを私は疑わない。
だがさきほども述べたように、そのような善意が患者さんや家族にとってプラスの結果をもたらすとは限らないのである。

(この項続く)