BPDの危険因子 BPDとトラウマ

他の深刻な疾患を罹った患者と同じように、多くのBPD患者もなぜ自分がこんな病気に罹ったのか思い悩む。
できればその原因を知りたいと思うのも当然だろう。
これまでにさまざまな心理学的理論が、その問いに答えることができると主張してきた。
たとえばBPDは主として心理学的原因に由来しており、問題の多い家庭内経験に根ざしているのだという、精神分析パラダイムに基づいた理論が、これまで久しく信じられてきた。
他方でBPDに関する外傷後ストレス理論を信奉する論者は、われわれはBPDの原因を知っており、それは児童期の虐待であると主張する。
しかし先に結論から述べておくなら、他の精神障害の場合と同じように、さまざまな種類の病因モデルに基づかない限り、BPDを理解することはできそうにない。
すなわちこの障害を正しく把握するためには、生物学的、心理学的、そして社会的リスク要因だけでなく、それらの相互作用もまた考慮に入れる必要があるということである。
今回はそれらのリスク要因の中でも、近年おおいに取り沙汰され、臨床に対して与えた影響も大きかった、「BPDとトラウマ」というテーマについて取り上げる。
BPDの臨床とトラウマとの間には、もうかれこれ20年以上に及ぶ、深くて長い因縁がある。
それはBPD患者の小児期に関して調査を行った結果、こうした患者のほとんどが子供の頃に何らかの形で虐待を受けたと報告することが明らかになったためである(Herman, Perry, そしてvan der Kolk, 1989; Ogata, Silk, Goodrich, Lohr, Westen, そしてHill, 1990; Paris, Zweig-Frank, そしてGuzder, 1994a, 1994b; Zanarini, 2000)。
BPD患者の中にトラウマとなるような出来事、とりわけ性的虐待や身体的虐待を報告する者が数多く含まれているという結果は、当然ながら臨床家に対して大きな影響を与えることになった。
BPDを小児期に受けたトラウマに対する反応として説明するような心理学的理論を、こうした知見が裏付けるものであるとみなされたためである(Hermanとvan der Kolk, 1987)。
こうした論者の多くは、BPDの症状は子供の頃にした経験の再現であるとみなし、さらにBPDとは「複雑性PTSD」であるという仮説すら提唱されるに至った(van der Kolk、Perry、そしてHerman、1991)。
この仮説に従い、患者に虐待歴がみられた場合、それがBPDという診断をくだす上での根拠になると考える臨床家は、今でも決して少なくない(学生向けの現役の教科書で、虐待がBPDの主な原因の一つであるかのごとく書かれているものがあるのだから、それも無理ならぬことではある)。
ましてBPDの患者自身や家族がそう信じたからといって、誰がそれを責められよう。
だがこうした仮説はいささか単純に過ぎたようだ。
子供の頃に性的あるいは身体的虐待を受けた、家族が機能不全に陥っていた、あるいは親からネグレクトを受けたなどと報告するBPD患者の数が極めて多いのは事実である(Zanarini, 2000)。
しかしその内容を注意深く再検討してみると、深刻な心的外傷がみられるのは、BPDの中でも比較的少数のケースに過ぎないことが明らかになってくる。
たとえば性的虐待について述べるなら、親から繰り返し近親相姦を受けるといった深刻なエピソードと、他人からただ1度だけ性的いたずらをされたといった、より程度の軽いエピソードが、同じだけの重みを持つと考えることは難しい。
それと同じように、親が時に子供をひっぱたくというエピソードと、たびたび子供に怪我をさせるような深刻なエピソードを混同すべきではない。
そして両者を区別した場合、虐待を受けたとされるBPD患者の数は約三分の一に減少した(Ogataほか, 1990;Parisほか, 1994a, 1994b)。
また患者が経験したリスクと、その後たどった転帰の間に、明確な相関関係は認められなかった。
逆にトラウマを受けたという経歴が無くても、BPDを発症する可能性はあることが明らかにされている(Paris, 1994)。
このようにリスクと転帰の間に隔たりが生じるのは、同じような出来事を経験したとしても、それが全ての人間に対して同じような影響を与えるとは限らないからである。
気質やパーソナリティー、そしてさまざまな脆弱性に関する個人差には、明らかに遺伝的要因が関わっており(Plominほか, 2008)、そしてそれらのさまざまな特性が、不幸な出来事に対する個人の反応を媒介している可能性がある。
主として遺伝に由来する障害と、主として環境に由来する障害という形で、精神障害を含むさまざまな障害を2分するというモデルは、概してもはや時代遅れのものとなりつつあるのである。
さまざまな遺伝子は互いに相互作用しており、環境によってスイッチが入ったり、切れたりする(Rutter, 2006)。
他方で過酷な環境に対する脆弱性は、遺伝子の影響のもとに作り上げられる。
そのような脆弱性を持つ人物が過酷な環境に置かれた時、その環境に対する反応はより病的なものになる可能性が高い。
子供の頃に経験した不幸な出来事がもたらす転帰を左右するのは、このような遺伝と環境の相互作用である(Kaufman, 2006; Rutter, 2006)。
BPDの「原因」について考えるとは、遺伝要因について考えることが環境要因について考えることにつながり、環境要因について考えることが遺伝要因について考えることへとつながるような、自己言及的とも見えるようなメカニズムについて考えていくことに他ならない。
子供の頃に性的虐待を経験した場合、大人になってから精神障害に罹患するリスクが、非特異的な形でーほぼ全ての障害に関してー高まるのは事実である(KendlerとPrescott, 2006)。
他方で地域社会のサンプルにおいて、児童虐待を経験した人々のほとんどはBPDを発症することはないし、診断することが出来る程度に重篤な、他の何らかの精神障害を発症することがないのもまた事実である(FergussonとMullen,1999)。
そのあたりの込み入った関係については次回に述べることにしよう。